火曜日, 3月 07, 2006

もと教師ばかりであらむ受講生うなづき書き留むる文章講座

昔はものを書くことを極度に嫌っていた母。文字にすると残るから、残しちゃいけない、と。私がものを書くのをしかりつけていたくせに。わかりやすいひと。

新しき暦に予定書きてゆくかくも柔らかき厚みをもてり

昔は文字が汚かった母の暦。今はきっと、素敵な暦になっているんだろうなぁ、と思いつつ、それを目にすることができない、ワタシはタイにいる。

大根買ふ陸の孤島となる前に

これは大げさ。でしょう。だってあそこは住宅地。でも、雪がつもって出かける気がしなくなると、どこでも陸の孤島。

初暦よきことのみを記さんと

悪いことは口にするな、書くな、思っても言葉にするな、無理だと思ってもいいことだけを口にしろ、これが母の教え。欲しいものを欲しいといい続けると、必ず手に入る、と彼女は言うのです。そうかもしれない。

金粉のかけられたりしポインセチア花舗中央に重なり並ぶ

クリスマスか・・・

言葉には命かけて来しと自己紹介もの静かなる師文章講座に

短歌・俳句、ときて、次は何を書くのやら。

秋日和居りますけれど居りませぬ

とってもとっても母らしい。いい陽気でシアワセで、居留守をつかうそのシアワセ。

習慣とはおそおしきものうっかりと研いでしまいぬなれぬ無洗米

娘もおなじことやりました。これをすぐ読むところが素敵。

あしたより剥きにむきたり栗二キロ

って、いったい、何作ったの? くりごはん?

文鎮のかくも冷たき白露かな

ひんやりした文鎮って、気持ちいい。文鎮っていうアイテム自体、しばらく触れていない。

金曜日, 10月 28, 2005

新松子鉛筆細く初句会

母、祖母、おばがみんな新聞に載っている。

「娘の名前も載ったらうれしいなぁ」と、手紙に書かれていた。。。。ハイ。

「ああおいし」思わず声が出てしまう帰りて自分の流儀のお茶に

小さい頃からうちで飲んでいるお茶は「かすやさんのお茶」です。父が若い頃にお世話になった人の家のお茶かなにか。もんんんんんんんのすごい美味しい。

小さい頃からこれしか飲んだことがなくて、初めて一人暮らしした時にスーパーでお茶を買ったら味が全然ちがくてびっくりした。 がんばってデパ地下でいろんなお茶を飲み比べて、自分にあったものを探したけれど、なんにもしっくりこない。みんな結構いい値段なんだけれど。どうもわたしには甘すぎる。

実家から送ってもらってタイでもそのお茶。でも、実家で飲むのが一番美味しい。一煎目は軽く、二煎目がいける。

あぁ、飲みたい。いつかかすやさんにも行ってみたい。

木曜日, 10月 13, 2005

ひぐらしやさみしくなんかならないわ

母の作。すっごい母らしい。内容。
それからぜんぶひらがなってのもいい。

年を経し聴覚嗅覚みばおぼろ味覚は健啖鰻がとどく

祖母の作。このひとの生命力はすごい。数年前に癌で死を覚悟して、下着の一枚ものこさず(かどうかは忘れちゃったけど)、死ぬつもりでぜーんぶ処分して、家族みんなにも挨拶して、入院して闘病したら、癌が消えた。いまはシャンとして犬の散歩とかしてます。鰻か!

修正液流れ出でたる暑さかな

パターン化してきましたね。「ボールペンインクのなめらかなる暑さ」と。とは言え、うまい。

「わかり易き暗証番号ゆえ変えよ」ATMより文字で注意さるる

くやしいけれど、うまいわ。我が母。

川花火浴衣すがたの母と娘は姉妹かとも見える若さに

祖母の作。浴衣が恋しい。

火曜日, 8月 30, 2005

かうやって過ぎてゆくなり萩咲きぬ

萩だいすきだったなぁ。あまりにわんさか生い茂り過ぎて、風情とはちょっと遠かったけど。。。

勿体ない語訳不能の日本語を国是にせんとや諸国人は

これは、祖母の作。ケニアの環境副大臣さんが日本語の「もったいない」を国際語にしようと提唱したらしい。たしかに、英語にもできない。

木曜日, 8月 25, 2005

たしか今日睡蓮開く日でありし

幼少の頃、庭にとにかくいろんなものがあったと言うのは、私にとってとっても幸せなことなんだと思う。花の名前を覚える前に、その植物でどうやって遊ぶか、どんな味がするか、いつ頃どんなふうに咲くか、そういったことに当たり前に触れてきた。

幼少の頃のお気に入りの花と言えば、例えば、桔梗であった。応接間の窓の右端にちょろりと見えるくらいの所に、毎年桔梗が咲いた。正確に言うと、私が好き だったのは、桔梗のつぼみである。ぷっくりとふくれたつぼみを、親指と人さし指でぱん、と潰すのが好きだったのだ。あのときの妙な後ろめたさは忘れられな い。やってはいけない、と思いつつ、どうしても潰してしまう。そして、妙な後ろめたさと爽快感が同時に襲ってくるのだ。

ほかには、ムクゲ(名前を知ったのは二十歳を過ぎてからだ)も好きであった。隣のおじの家へ繋がる木戸(金属だけど)のそばに植わっていた。これを私は 「ニワトリの花」とよんでいた。ムクゲの花弁の根元をふたつに割いて、花の頭にくっつける。ニワトリの鶏冠のようで、お気に入りの遊びだった。

ムクゲのそばに植わっていたねぶの木(名前は今調べた)もお気に入りであった。あのしゃしゃしゃっとした花弁(なのかな?)の涼しげなこと。それにくわえて優しい色。

ほかにもこんもりと生い茂った萩、それから白萩。その萩の茎を伝うアブラムシ。藤棚、こぶし、銀杏、そうそう、しだれがつらもお気に入りであった。シダレ ガツラはなんとなく「おじいちゃん」な雰囲気をかもし出していたのだ。わたしは「おじいちゃん」を両方とも知らないのに。

それから、白樺も好きであった。家の屋上より高い白樺の木が五本くらい、萩の後ろに立っていた。このどっしりとした姿、夏には日陰を作り、涼しげな音をたてて葉をゆらす.冬には葉を落とし、雪の白と幹の白、貴重な日光を遮らない優しさ。白樺は父親か。

幼少の頃は、牡丹がきらいであった。庭に何輪もの牡丹が突如として咲く。その花の大きさがただ怖かった。牡丹のそばに咲いていた水仙は、あまりたくさんあるので好きとも嫌いとも思わなかった。水仙のそばに生えていた葉っぱは、刀がわりにしてチャンバラごっこをした。

それからチューリップと椿は下品に見えた。いっけん清純さを装いながら、あっという間にだらりと花弁をもたげてすべてをあらわにしてしまったり、くびからぽろりともげて地面に踏み付けられている姿。なんとあさましく下品なことか、と子供ながら嫌悪感をもっていた。

栗の木と柿の木は仲が悪く、栗がなる年は柿がならず、柿がなる年は栗がならなかった。

天気のいい日は縁側に寝転んで、庭を眺め、芝生の上を転げ回って、そこいらじゅうの木や花を摘み取って遊んだ。スネているときは藤棚の上にのぼって、家のものからは見えないようにねっころがり、ぼんやり空を眺めたりした。

母は完全防備で絶対に紫外線に当たらないようにして庭へでては花を摘み、家の至る所にいけた(自己流で)。

庭を拡張する時に、池を作って、と父におねだりをしたことを覚えている。鯉や金魚や亀を買おうと思ったのだ。夏なんて涼しげでいいだろう、と。父は、「ああ、作ってやる」といったのに、出来上がった庭に池はなかった。

今の母の家の門から玄関迄の石畳と、その両脇にある木々も美しい。けれど、わたしにとって、幼少時代を過ごした家の、今思えば多少雑多なあの庭が、一番好きだ。白樺が切られた時、妙に哀しかったのを覚えている。

幼少時代にそんな経験を持てた私は幸せだと思う。花はお店で買ってくるものだと知ったのは二十歳を過ぎてからのことだ。

出先より二度も留守録確認す宇宙のはてまで忘れられたよう

一緒にいる時もよく確認している。いったい誰からの電話をまっているのかしら。

金曜日, 8月 05, 2005

木曜日, 8月 04, 2005

訓戒と激励その他もろもろにコホンと咳し母よりと書く

もう十数年「お母さん」と呼んだことはないけれど、なにはともあれ、私はあなたの娘

知らなくて良いことそれで良しとする

ワタクシもこうでした。
知らんぷりとか決め込んでたら、ある種のことにほんとに鈍感になってしまった。

ボールペンインクなめらかなる暑さ

万年筆はやめたらしく、パーカーの素敵なのをくれた。さんきゅ。

くっきりと爪半月の若者は本を読みおり在来線に

活字が恋しいです@泰国

幸せのベスト3に入るべし快晴の陽にふくらむ布団

まさに、わが母。

次々と詠みきれないほど咲いて行く岩手の春は嬉し忙し

四季が恋しい。日本は本当に美しい国だと思う。

新しき日傘高々たかだかと

やっぱり私の母です。

この大雪すべて言ひ訳出来さうな

タイでいったらスコールと交通渋滞ってとこね。

知りませぬもう知りませぬこの大雪

いいテンポ。

ごめんなさい三倍に濃く生きるにははずせるものはテレビしかない

秀逸をとったもの。

やっぱり親子だ。

あーたの人生既に他人の5倍くらいこいから、テレビをはずしたら15倍くらいこくなっちゃうわね.

うららかや草引きそろそろ始めねば

って、自分でやんないでシルバー人材センターの人生の先輩方にやらせてるくせに。おもろいひと。

本物の色と香りに会うまでは見ないわテレビの桜中継

やっぱり私はこのひとの娘だったんだなあ、と思わせる。

春の風行かねばならぬどこにしよ

わかりすぎるくらいわかるわ。

一日より一と月短し弥生来る

これがわかるわたしもおばちゃんの仲間入り?

欲しいものあるといふ幸初桜

うちのは母ちょっと変わっていると言われるけれど、とてもしあわせで上質(上品とはちがう)な生命体だと思う。

微妙なる日付けの牛乳浴槽に注ぎ入れたり全うさせんと

まさにあのひと!

春の雨お出かけ日和といたします

実に母らしい一首。晴れていようが雨だろうが雪だろうが嵐だろうが、幸せな人。

春の雨お出かけ日和といたします

実に母らしい一首。晴れていようが雨だろうが雪だろうが嵐だろうが、幸せな人。

観光地めぐり巡るも体力とそばかすみやげに帰り着きたり

某新聞で佳作をとった母の一首。ちなみに粗の上の「秀逸」をとっていたのは祖母だった。

母と祖母は、3代そろって新聞にのりたいらしく、わたしにも短歌をすすめる。

母のこの一首に対する選者の評は間違っている、と娘のワタクシは断言できる。六十年間紫外線を避けて生きてきた母。「そばかす」の意味するものは「そばかす」であって「そばがら」ではない。

選者は「軽いものを土産に買った体力のないひとの観光地帰りの面白い作」と。

全く持って、違います。彼女は還暦を過ぎても私の数倍の体力がある。バイタリティーもある。そして、なによりも紫外線を恐れる。完全に誤解されてとった「佳作」。